「ひさご通りを背にして通りの端に立つとしらじらと人のいない通りが、ほとんど非現実の光景に見えて来る。わずかに残る寄席のあたりに人がいるが、それも呼び込みの人たちなのではないか、と疑ったりしてしまう。それからこみ上げるように、ふるさとを庇いたくなった。なにが非現実な光景なものか。これこそが浅草だからではないか。東京のどこの盛り場より多くの映画館を持っていた街が、東京のどこの盛り場より早く一軒も残さずその映画館を見限ってしまったのである。これこそ昔と変りない浅草の客の「本音」ではないか。「具体の境地」ではないか。過激である。過激だが、誰にもそんな意識はたぶんない。ただ本音のままに実行したら、こうな…