大河兼任の乱(おおかわかねとうのらん)
1189年、源頼朝の藤原泰衡追討により藤原家が滅亡すると、大河兼任は旧主の仇を討つと称し挙兵。男鹿地方の地頭・橘公業の拠点を襲撃。その後、由利維平を滅ぼし北上、津軽の宇佐美実政も敗り、平泉を占拠。源頼朝の命を受けた鎌倉追討軍と栗原一迫の戦いで激突したが、兼任は敗走。以後、連敗し、花山の栗原寺にて斬殺された。