昭和三十五年(1960)4月、ダムの堤防上の芝貼りを任されていた植木職人丹羽政光さんに電源開発の職員が声をかけます。丹羽さんは佐久間ダム建設で周辺の植樹等に実績のあった「庭政造園」の親方でした。 「お寺の桜を電源開発で移植することになっているんだが、やってくれる人がいないんです。お願いできませんか?」 親方は光輪寺に桜を見に行った後、弟子七人を集めて一言言いました。 「桜をやるぞ」 東海一と言われた植木職人 丹羽政光さん(高碕記念館展示より) 笹部さんは、この東海一といわれた親方と大阪倶楽部で話し合います。「見るからにがっしりした躰つき頼もしく」感じたと書き残しています。丹羽さんのこれまでの実…