土居下同心 はじめに 名古屋は徳川御三家筆頭と言われた。藩の体制も堅固であった。それを物語るのが、御土居下御側組同心の存在である。本来こう言うことは機密であるので、情報を得るのが困難だが、尾張徳川は機密に甘いようである。 御土居下御側組同心 正式には御土居下御側組同心である。いざとい時に定光寺まで、藩主の護衛を務め、中央道へ逃がすという任務を与えられた世襲の家てあって、名古屋の掘外の北東に屋敷を構えていた。18軒の家があり、任務は家長に与えられていて家族と言えども他言は禁じられていた。殿様の近くに仕えていて、教養も重視された。忍者であっただろうと思う。同じような組織はほとんどの藩が持っていたと…