60年代のプロ野球選手。プロゴルファー。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は8番*1。
1934年3月21日、茨城県出身。
茨城高から高崎理研を経て、1955年に西鉄ライオンズに入団。
1958年、白石勝巳に誘われて、広島カープに移籍。4番打者として活躍した。
1959年には当時の球団記録である23本塁打を記録。ベストナインを獲得。
オールスターにも4度出場。主砲として1960年代のカープを支えた。
1968年、南海ホークスに移籍し、同年引退。14年間の通算成績は1133安打で打率.255、147本塁打、486打点。
引退後はゴルフのレッスンプロの資格を取得し、その後アマチュア復帰。日本シニア選手権出場を目指す。
広島市西区在住。
2001年3月4日、広島市内の病院で逝去。
*1:山本浩二以前の背番号8番。