朝廷からの「宣下断行」の通告に、定信は大いに憤慨します。朝廷で「群議」が行われた少し前、朝廷と幕府(定信)との間で調整役を務め、比較的良好な関係を築いていた鷹司輔平(たかつかさ すけひら)が関白を辞めています。輔平は典仁親王の弟にあたり(鷹司家へ養子に入っていました)、光格天皇からは叔父にあたります。 輔平の辞職と「宣下断行」(輔平は「群議」で反対に回った数少ない公家でした)は、従来の朝廷と幕府の間のルールを外れたもので、定信は朝廷に断固とした対応をとることを決断します。 さて、話はかわりますが、京都三条大橋の東側に、通称「土下座像」として知られている銅像があります。 京阪電車三条京阪駅前のこ…