歌人。1941年4月4日- 大阪市生まれ。本名・長谷川芳子。國學院大學文学部卒。1960年大学入学時に「短歌研究会」に入り同年7月、同人誌「具象」創刊に参加。12月、岸上大作が自殺し、作歌中断。1973年、岡野弘彦主宰「人」創刊に参加、主に評論を書く。93年「人」解散により、94年同人誌「滄」創刊に参加し、同誌発行人。「人」末期に作歌を再開し、95年第一歌集『フェベ』刊行。
[私の百人一首] その2 34 楽しみは妻子(めこ)睦まじくうちつどひ頭(かしら)並べてものを食ふ時 (橘曙覧(あけみ)「独楽吟」、作者1812-68は幕末の歌人、国学者、平易な歌を詠んだ、この歌も家族愛がほほえましい) 35 君とわがたゞ身二つのかくれ里かくれはつべき里もなきかな (樋口一葉、「ああ、貴方と二人だけで駆け落ちして、誰も知らない里に、二人だけで隠れ住んで人生を終えられたら何て素敵でしょう、でも・・」、「君」は一葉の師の半井桃水か、24歳の短い生涯に唯一の恋) 36 燃えて燃えてかすれて消えて闇に入るその夕栄(ゆふばえ)に似たらずや君 (山川登美子1900、登美子21歳、「君」は…
曇り空の寒い日曜日。明治神宮の月次歌会に行った。 朝は6時過ぎに起きて、テレビ体操をやった。NHK短歌は見れなくて、俳句のほうを見た。 家を出たのは9時半ごろ。明治神宮の歌会がコロナ以前と同じ会場に戻り、はじまる時間も以前と同じ11時から、となった。コロナが五類に変更されてから、歌会は再開となったが歌会の時間は以前より短くなり、会場が変わり、会場で食事をするのも禁止となった。 今日からはコロナ以前にすべてが戻った。戻らないのは参加する人数である。前は少なくとも50人くらい、多いときは80人を超えていたように思う。今日の参加人数は39名である。昨年の11月、12月は30名を少し超えるくらいだった…