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通化事件

(一般)
つうかじけん

昭和21(1946)年2月3日に、かつての、満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問と銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人2000人(一説には、数千人)が殺害された事件。

概略

加害者は、支那共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)、被害者は日本人。通化市というのは、いまの北朝鮮と支那の国境付近にあった市。

終戦時の通化は、中華民国(蒋介石・国民党)政府の統治下に置かれ、満洲国通化省王道院院長を務めた孫耕暁が国民党通化支部書記長に就任し、満州国軍や満州国警察が転籍した中華民国政府軍によって治安が維持されていた。

治安が維持されていたから、満洲の奥地から日本に帰国しようとする多くの在留邦人や引き上げのために集まった日本人、17000名が滞在していた。男は、満洲にソ連が侵攻した際の戦いに出自し、辺境で命を落としたり、シベリアに連行されたりしている。

命がけで、女子供や老人を逃し、そのために命を犠牲にして戦った。ですから当時の通化にいたのは、男たちが戦って時間をかせいでいる間に、必死に逃げさせた女性や子供、老人たちだった。

しかし、彼女たちや老人たちは、無事に逃げおおせたわけではありません。落ちる途中で、支那人や朝鮮人たちにより、ようやく持ち出した手回り品やわずかばかりの財産全部を奪われ、暴行を受け、強姦に遭い、厳寒の地で衣類さえも奪われ、麻袋に穴を空けたものをわずかに身に着けただけの姿で、ようやく一定の治安が保たれている通化にたどり着いた。

通化では、在留邦人がそうした日本人避難民に衣服や住居を提供するなどしていたのだけれど、その通化市居留の日本人ですら、家屋や家財を強制的に接取されるなどしてた。

そこに昭和20(1945)年8月24日、ソ連軍の将校20人、兵士200人が進駐し、市内の竜泉ホテルに司令部を設置する。

日本人居留民の家屋に押し入り、財物や衣類を奪い、奪うモノがなくなると、日本人女性や少女を強姦し、抵抗する男性や老人は平気で暴力をふるい、殺害した。武装解除されたとはいえ、通化市にあった日本軍憲兵隊は、ただ手をこまねいていたわけではない。

原憲兵准尉は、ソビエト兵が白昼の路上で日本女性を裸にして強姦していた現場に駆け付け、女性を救おうと制止してもソ連兵行為を止めないため、やむなく軍刀でその強姦兵を一刀のもとに斬り捨てた。しかしその場で原准尉は、別のソビエト兵に射殺されている。そしてこの事件以降、日本人は、憲兵といわず民間人といわず、日本刀も没収の対象となっている。

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