1934年群馬県生まれ。1961年法政大学社会学部卒業。東京大学新聞研究所、UCLA、中国対外経済大学等で研究に従事。現在、東京経済大学教授。大学院コミュニケーション学研究科長。専攻はコミュニケーション学、社会学。 思想の科学研究会、日本移民学会の会長を歴任。現在、東京経済大学コミュニケーション学部教授。
浅草六区側から凌雲閣側に向かって撮影された写真(出典:「写真集_関東大震災」、著者_小薗崇明、東京都慰霊協会) 今から100年前の1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起き、激甚をきわめたその災害により都内は大きな被害を受けました。1921年(大正10年)5月~7月に浅草の民衆娯楽(活動写真など)の実地調査と社会地図の作成を行った権田保之助は、「民衆娯楽問題の原書は丸善にはありません。浅草にあります。」と学生の質問に答えたほど浅草好きで、関東大震災の時も即刻浅草を訪れています。権田保之助の眼には、その時の浅草がどう映ったでしょうか。 権田保之助は、浅草の社会調査では丁寧な「実査」を行い…