9、武田家滅亡に関しての考察 この後、武田家は織田徳川に攻められて、最後は天目山(田野)で武田勝頼公は切腹して、武田家は滅亡となります。確かに長篠の合戦では多くの家臣が亡くなりましたが、先に書いたようにまだ軍勢もあり、他にも家臣がいて亡くなった家臣の息子等に家督を継がせるなど、勝頼公も戦後処理をして、今後の対策を立てていました。 ここからは私小角の個人見解なので、それを前提に読んで欲しいのですが、これは武田家の軍勢の特徴にあると思われます。武田家は野戦で戦う軍勢と、城攻めで戦う軍勢は元々分けられておりました。大きく分けると、一の先衆、ニの先衆、浮勢になっております。どんな武将が配置されていたの…