南京安全区
日本軍が南京市に侵攻するにあたり、南京市内に「(中華民国政府の遷都にあわせて)避難できかなった人々」「他戦線で発生した難民」を収容するために設定された地区。広さは南京城内の一部で約3.8平方キロメートル。
マイナー・ベイツ金陵大学歴史学教授、ルイス・スマイス金陵大学社会学教授、ジョン・ラーベ ジーメンス社南京支社支配人らが中心となって南京安全区(難民区)国際委員会が結成され、南京市・日本軍双方に対し交渉にあたった。
南京が日本軍によって陥落されたあと、おおむね25万人程度が集まっていたという記録がある。
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter1.html
*1:難民区は安全区の西半分とする説もある。