10月7日(土)、光栄なことに賢治の母校である盛岡高等農林(現・岩手大学農業教育資料館)の由緒ある建物の講堂において「蓄音機で聴く宮沢賢治と音楽」と題した講演を仰せつかった。 盛岡高等農林時代の賢治と音楽との結びつきについて、賢治がSPレコードの虜になったのは卒業後のこともありあまり深く調べる対象としてこなかった。しかし、この講演を機によくよく調べているうちに、音楽を含め賢治のその後の生き方を大きく左右する日々を過ごしていたことに気づいた。 その一つとして、在学中の2年余りの間、交遊が深かった高橋秀松の存在が大きいことに改めて認識した。講演のレジュメに以下のように書いた。 高橋秀松、1894年…