北条流築城術が、これでもかというぐらい見られる山城。箱根路の防衛拠点であった。 山中城の築城は、永禄年間(1558-70)とされるが、天文23年(1554)に甲相駿三国同盟の一角として北条氏康の娘が今川義元の嫡子氏真に嫁いでいるため、伊豆と駿河の間は安定しており、わざわざ新城を築いて防備を厚くする理由が見当たらない。その後、永禄11年(1568)に武田信玄が駿河へ侵攻し、三国同盟は崩壊してしまうのだが、この武田氏と北条氏の対立が明確となった時点が、本格的な築城の始まりだったと思われる。 ただ、足柄城でも見られるような、街道と関所機能を取り込んだ城郭というのは北条氏の特徴で、三国同盟崩壊以前から…