北川 健次 1952年福井県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。駒井哲郎に銅版画を学び、池田満寿夫の推挽を得て作家活動を開始。’75年、現代日本美術風ブリヂストン美術館賞受賞。89年より「箱」を主題に立体表現も展開、’90年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡欧。銅版画とオブジェの分野における
「モナ・リザ」ミステリー
最初の北川健次のエッセイ「記憶と芸術──二重螺旋の詩学」から。《 クレーが矢印を使い始めたのは一九二〇年代に入ってからであるが、デュシャンの無機質に比べ、クレーは限りなく有機質の方へと「矢印」の意味が分化した事は興味深い。では美術の枠を出て人類史的に見れば、矢印の出現はいつにその起源を辿るのか。それは<もの>に名前が名辞される以前の遥か昔、シリアの壁画にまで遡る。そもそも矢印とは、感情や意思を伝える原初的な記号であり、自然界のあらゆる事物に霊的な存在を認めるという観念──すなわちアニミズム的な記号として古(いにしえ)より存在していたのであった。 》 15頁 先年、富士宮市のギャラリーで購入した…
前屋毅フリージャーナリスト 3/11(月) 7:05 教育研究者たちも、「声明」を発表する「とんでもない」ことだった 撮影:筆者 奈良教育大学が同大学附属小(以下、附属小)で行われてきた教育を「教科書どおりではなく不適切」という報告書を公表したことが波紋を広げるなか、3月4日付けて教育研究者有志が「教育課程の創造的実践を通じたゆたかな教育の実現を求めます」という声明を発表した。 |「攻撃」である そこには「呼びかけ人」として17名の教育研究者が名前を連ねているが、その後、声明に賛同する教育研究者の数は急速に増え、3月10日時点で呼びかけ人と賛同者の合計で368名にも達している。それほど、多くの…
先週金曜日のアフターに予定していた、ことしお世話になったひととの忘年会、第一弾は、そのひとの体調不良により延期になり、席予約をいれていた酒舗には、窮余の一策を講じる隙(ひま)もないくらいな、平身低頭。(電話口ながら;) 折りあるごとにうかがい、お店のかたのおひとがらも存じているだけに、その夜は、さすがに、落ち込みました。 翌週金曜日のアフターは、卑近のサイゼリヤには寄らず、これも、「ことしお世話になったひととの忘年会」、第二弾を、翌土曜日に、別の友人の個展に同行してもらった道すがら、高円寺・一番館で開くことにしたのは、その二次会を卑近のサイゼリヤで、と思ったからでした。 ようするに、こちら持ち…