東京都の多摩地方、三多摩のうちの一つ。含まれる町村が全て市になったため、現在では存在していない。
場所は現在の立川市、武蔵野市、三鷹市、府中市、昭島市、調布市、小金井市、小平市、東村山市、国分寺市、国立市、西東京市(田無市、保谷市)、狛江市、東大和市、清瀬市、東久留米市、武蔵村山市。
以前、「国立町東区」時代のものを下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は、以前紹介したものと違う「国立町東区」時代のものを新たに発見したので、それを紹介することにしよう。発見日 2023年10月28日 発見場所 東京都国立市東三丁目左に脚立に乗って庭の木を剪定しているオジイサンが目に入った。少し先で右に旧町名の表札が視界に入った。写真を撮りたかったのだが、少し離れているが、後ろの方にいると思われるオジイサンの視界に入っているはずだ。後ろ髪をひかれつつ、素通りして振り向くと、いない。ここで「振り向く」と書くべきか「振返る」と書くべきか迷う。…
国立市で「谷保村」時代のものを発見した。発見日 2023年10月30日 発見場所 東京都国立市中一丁目道を歩いていると古そうなコンクリート製の門柱が見えた。右側の門柱には普通の氏名の表札が設置されていたが、そこには住所が書かれていなかった。 左側の門柱に植木に隠れている白い表札らしいものが見えた。門柱は道路から少し離れた所にあるため、よく見えないので、人通りがないことを確認し、日傘を差しながら近寄ってみる。植木の間から日光が差し、文字が薄かったので、その場では肉眼ではっきりとは確認できなかったが、「北多摩郡谷保村国立」と書かれていそうだということは確認できた。 おー、やったー、大物の発見だ!ま…
以前「国分寺市恋ヶ窪西ノ台」を紹介したが、今回は小字名が付いていないが、「国分寺町」時代のものを紹介することにしよう。 ①東京都北多摩郡国分寺町恋ヶ窪三五六 発見日 2022年7月11日 発見場所 東京都国分寺市東恋ヶ窪三丁目 次は国分寺市になってからのものだが、「東恋ヶ窪」になる前のもの。 ②国分寺市恋ヶ窪四六九番地 発見日 2022年7月12日 発見場所 東京都国分寺市東恋ヶ窪四丁目 歴史 1889年国分寺村、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の10村および府中宿、本宿村の一部が合併し神奈川県北多摩郡国分寺村が誕生(町村制…
今回も国分寺町時代の旧町名を紹介しよう。 発見日 2022年7月11日 発見場所 東京都国分寺市東元町一丁目 「長谷戸」は「ながやと」ではなく「はせど」と読む。 歴史 1889年国分寺村、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の10村および府中宿、本宿村の一部が合併し神奈川県北多摩郡国分寺村が誕生(町村制の施行)。 1893年三多摩の東京府移管により東京府北多摩郡国分寺村となる。 1940年国分寺村が町制施行し、東京府北多摩郡国分寺町となる。 1943年東京都制施行により東京都北多摩郡国分寺町となる。 1964年11月3日国分寺町…
今回も蔵出し企画の一環である。 当然最新版のストックもあるのだが、このような企画をたまに設けないと、撮ったことも忘れてしまうことになる。 パソコンには自治体毎のフォルダーを作成して整理しているのだが、これは、東久留米市のフォルダーを作成するの失念しており、フォルダー外にあったものから見つけ出したものだ。 最近といってもブログを始めた頃からになるが、パソコンのフォルダーの整理が全然できていない。以前はGoogle フォトから10日単位位にダウンロードして、カテゴリー毎に作成したフォルダーに撮った写真を移動するという地味な作業をしていたのだが、ずっとさぼっている。そのため、パソコンのフォルダーから…
過去の東京23区外のものを調べていたら、まだ未紹介のものがあった。たぶん新座市を探索した時に、東久留米市に入り込んでしまい、その時に発見したものだと思われる。と記憶があいまいだ。探索していると予定していない自治体に入り込んでしまうことがよくある。そこで発見があると、予定外の収穫で「ちんどんどん」となる。 朝ドラ「ちんどんどん」は昨日(2022年5月16日)より東京編が始まった。昨日はたばこの看板を見かけた。50年前の小道具を探すのもひとつの楽しみである。 発見日 2020年10月14日 発見場所 東京都東久留米市浅間町3丁目 この住所は手書きなのだろう。 「多摩」の「多」が異体字の「夛」(少し…
国分寺市内藤に「国分寺市戸倉新田」の目撃情報があるというので、2022年3月24日の夕方と2022年3月25日の午前中からお昼過ぎにかけて探索してきた。 内藤に飛地として戸倉新田があるらしい。 2022年3月24日はその飛地辺りを探すが見つからず、暗くなってきたので、探索を中止。2022年3月25日は、前日より少し範囲を広げて探索するが見つからなかった。そこで、ローラー作戦を実施するが、やはり見つからなかった。どこか見落としているところがあるのかもしれないが、あきらめて、次の目的地にとぼとぼと向かう。工事中の土地があったので、「国分寺市戸倉新田」が設置されていた建物は解体されてしまったのかなあ…
以前実施した小平市丸ポスト探索ツアー(個人的な一人ツアー)で訪問するのを忘れていた2つの丸ポストを見つけた達成感にひたっていた。 突然ポストが出てきたが、何だ? 小平市丸ポスト探索ツアーの報告はいずれするつもりだ。 「江戸東京たてもの園」に行きたかったのだが、常盤台写真場、奄美の高倉、植村邸、丸二商店が3月末まで修繕工事中のようなので、工事が終わったら訪問することにした。 帰途の駅、西国分寺駅に向かうまでの間に何かないかなと探索していたときに見つけたもの。 小平町小川新田に続いて、小平町新田シリーズ第2弾となる。 発見日 2022年3月24日 発見場所 東京都小平市御幸町 鈴木新田の開発に関わ…
最近は東京23区外を訪問することが多くなった。 記事にしていないものがかなりあるが、23区内の旧町名はほぼ探し終わったと思っていた。といってもほとんどすべてといってもいいくらい目撃情報の追っかけだけどね。全然自慢できない。 InstagramをGramhirで見ているのだが、GramhirはInstagramに投稿されたものをまとめて見れるので便利だ。でも、ロールダウンしても見れなくなることがあるので、困ってしまう。Instagramには毎日のようにとまではいかないが、見覚えのない旧町名の情報がアップされている。見覚えがないというのは、たぶん訪問済みなのだが、覚えていないという物も含んでいる。…
北多摩郡久留米町シリーズ第2弾である。 東久留米市に入って最初に発見した旧町名。 前回投稿したのは、一番最後に発見したもの。 清瀬市経由で東久留米市に来たので、このような順番になった。 清瀬市で発見した旧町名関連ものは後日投稿予定。 投稿を忘れないようにしないと。 東久留米市シリーズは第4弾まである予定。 発見日 2022年3月21日 発見場所 東京都東久留米市幸町2丁目 1968年8月1日住居表示実施により幸町2丁目になる。 「小山」は「おやま」ではなく「こやま」と読む。 東久留米市の情報はほとんどない中でよく発見した。 褒めて遣わそう。 ・・・ う~ん、困った、書くことがない。 こういう場…