昭和61年(1986)4月8日の昼過ぎ、編集部に私宛ての電話が入った。 相手は飲み仲間である某全国紙社会部記者。受話器を取ると、彼がうわずった声でこう話してきた。 「岡田有希子が病院に運び込まれたって、共同(通信)の速報が流れたんだけどさ。何かつかんでる?」 まだSNSどころか携帯電話すらない時代。 各新聞社には「ピーコ」と呼ばれる、通信社から速報を伝えるスピーカーがあり、それを受け記者たちが一斉に現場へ飛んでいく、そんな時代だった。 さっそく、岡田が所属するサンミュージックがある四谷4丁目までタクシーを飛ばすと、事務所ビル前にはすでに黒山の人だかりができていた。 この年の3月、岡田は堀越高校…