庶民にとっては厳しい冬であるが、「左翼」インテリにとっては“我が世の春”である。 というのは、昨今の日本では、「前衛党」の権威が地に落ち、マルクスやマルクス主義の言葉(用語)を安直に利用しても、「前衛党」から「プチブル知識人が生半可(なまはんか)なことを言うな」「マルクス読みのマルクス知らず」などと、お咎(とが)めを受ける恐れがなくなったからである。 あるいは、薄暗い喫茶店の片隅に呼び出されて、「マルクスを学ぶということは、単なる“教養”じゃあなくて、イスト(注:マルキスト・コミュニストの省略語)として生きるということじゃあないのかな? 君自身の生きる主体性が問われているんだよ!」と、ねっちり…