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<加古郡> ■加古郡稲美町国安 国安天満宮万葉歌碑(巻七 一一七九)■ 加古郡稲美町 国安天満宮万葉歌碑(作者未詳) ●歌をみていこう。 ◆家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎 (作者未詳 巻七 一一七九) ≪書き下し≫家にして我(あ)れは恋ひむな印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に照りし月夜(つくよ)を (訳)我が家に帰ってから私は懐かしく思い出すことであろうな。昨夜、印南野の浅茅の上に月が皓々(こうこう)と照らしていた光景はまことに見事であったな、と。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より) (注)にして 分類連語:…において。…で。…に。▽場所…
ぶらーっていった名古屋城。にのまるに発見したいしぶみで、にのまるに歩兵第6連隊があったことをしった。 ◇ ◇ 名古屋駅市バスのりばからメーグルにのる。 トヨタ産業技術会館、ノリタケの森、四間道(しけみち)ってまわって名古屋城にとうちゃく。 ほんまるのほうにはいかんで、バス停からひがしにいって名古屋城にのまるおおてにのもんをくぐる。あじわいのある高麗門だ。いちのもんとあわせてますがたを形成しとっただけど、いまはいちのもんはない。 にのまるにはいってちょこっときたにいったとこに「歩兵第6連隊の由来」っていしぶみを発見。名古屋城に軍隊があったってのはしっとったけど、このにのまるに歩兵第6連隊があった…
■富山県高岡市太田 つまま公園万葉歌碑:安政五年(1858年)■ ●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。 安政五年(1858年)に立てられた富山県高岡市太田つまま公園万葉歌碑(大伴家持) ●歌碑は、高岡市太田 つまま公園にある。 ●歌をみていこう。 ◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里 (大伴家持 巻十九 四一五九) ≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり (訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤…
まえまえからいっかいのってみたいなっておもっとった川向(かわむき)いきバスにのってきた。東岡崎始発で1日2本しかないバスだ。いったさきで天空の神社こと御桑神社(おくわじんじゃ)をみて、かえりに奥殿陣屋(おくとのじんや)や大樹寺(だいじゅうじ)にたちよってきた。 ◇ ◇ 東岡崎は4番バスのりばにはいってきた川向(かわむき)いきバスにのりこむ。 8時40分、しゅっぱつ。乗客は5人。 えきまえどおりをにしにいく。 明大寺本町(みょうだいじほんまち)交差点を右折。電車どおりをきたにいく。 菅生川(すごうがわ)にかかる殿橋(とのばし)をわたる。 はしのうえ、ひだり45度に松平の本拠岡崎城をみる。 はしを…
東日本大震災の津波で被災した文化センターを継承する施設で2021年11月に新たに開館した石巻市博物館で 「石巻の板碑-調査の記録をたどる-」と題した企画展が開かれている。 「石巻の板碑」展 石巻市博物館 2023板碑は鎌倉・南北朝・室町時代の供養塔。石巻市は全国有数の集中地である。その石巻市博物館の企画展は26日まで。 「石巻の板碑」展 石巻市博物館 2023企画展のポスターとなったガネーシャのようなデザインは梵字を組み合わせて五輪塔をえがいたもの。凄いデザイン力だ。 「石巻の板碑」展 板碑の展示(複製) 石巻市博物館 2023板碑愛好家はマニアともいえるし、「調査の記録をたどる」という副題を…
地図になき 黒き碑(いしぶみ)の呪われし村を別して訪うなかれ Do not visit the cursed village of the Black Monument , which is not on the map そはシュトレゴイカヴァール 碑が呼ぶ魔宴を知りたくなくば If you don't want to know the magic banquet called by the stelegoikavar #tanka #短歌 #邪神短歌 #英文短歌 #破調
平素より大変お世話になっております。 サラリーマンゲーマーのmifuiです。 ニューヨークでホーマーを飼っていたフレイはアーシアに来てもやはり猫の様子が気になってしまうようです。どんなにひねくれた人でもカワイイ動物を前にすると頬が緩んでしまうものなんですね。 動物に癒やされながら【FORSPOKEN】続きをプレイしていきます。 〜街の外は危険〜 オーデンとの取り引きによりニューヨークに帰る為のワープホールの情報と引き換えに彼女の父親が残したブレイクの資料を取りに行くことになりました。街の人々との交流を終えるとようやく街から出てオープンワールドへと繰り出します。 マップには既に色々なイベントが表…
どうする家康で、松平元康が上ノ郷城(かみのごうじょう)ってしろをせめおとすばめんがあった。蒲郡(がまごおり)にあるしろで、城主は、桶狭間のたたかいのときに大高城の城代だった鵜殿長照(うどのながてる)。いや、蒲郡にしろがあったとはあんまり認識しとらんかった。ほれに、桶狭間のたたかいがおわったこのときになっても、元康の本拠岡崎からすぐちかくの蒲郡にまんだ敵対勢力がおったってことも意外だった。 鵜殿一族の故郷は熊野新宮。ほっからうみをわたって蒲郡にやってきて土着。上ノ郷城をきずいたほか、分家のしろとして下ノ郷城(しものごうじょう)、不相城(ふそうじょう)、柏原城(かしわばらじょう)をきずいて勢力を拡…
◎新作ロードショー エッフェル塔~創造者の愛~ 《3月3日(金)から 東京 新宿武蔵野館ほかで公開》 パリ・エッフェル塔の建造を手掛けたギュスターヴ・エッフェルが、資金不足や反対運動に振り回されながら完成に漕ぎつけるまでの伝記。(2021年 フランスほか 監督/マルタン・ブルブロン) 丘の上の本屋さん 《3月3日(金)から 東京 新宿ピカデリーほかで公開》 本が年齢や国籍を越えて絆を育んでいくドラマ。村で古書店を営む男性が、移民の少年に本を貸し与えることで、読書の喜びを教えていく。(2021年 イタリア 監督/クラウディオ・ロッシ・マッシミ)
佐屋路(さやじ)は日置(へき)のごうからにしにすすんで、内佐屋(うちざや)のごうのひがしのはずれでひだりかねんてにみなみにまがって須依(すえ)のごうのほうにいくだけど、ほのかねんてのとこに佐屋海道あとのいしぶみがたっとる。 佐屋海道址 かつて東海道の脇往還として多くの往来がみられた佐屋路。 往時の栄華を后世に語り継ぐため、1979年11月に碑が建てられました。 愛西市教育委員会 〔2023年2月ここのか訪問〕 【佐屋路を埋田おいわけから佐屋三里のわたしまで】
ちょこっとづつあるいてきた佐屋路ひざくりげもこんかいがさいご。前回のつづきの埋田おいわけから西南方向に終着点の佐屋三里のわたしまであるく。埋田おいわけまでにしにのびてきた佐屋路が、ほのままいきゃあ津島のまちの中心部にいけるとこをいかんで、目前で回避するようにひだりにまがっていく。 こんかいの経路 埋田(うめだ) → 愛宕(あたご) → 日置(へき) → 柚木(ゆぎ) → 内佐屋(うちざや) → 須依(すえ) → 佐屋(さや) [埋田おいわけから佐屋三里のわたしまでの地図][佐屋路と周辺の主要街道] ◇ ◇ 名鉄バスセンターからのったバスを津島市役所前バス停でおりて、埋田おいわけ(うめだおいわけ…
今昔マップにわがふるいのまちのむかしのみちを発見。 かってに「きたのみち」、「みなみのみち」ってなまえをつけてそれぞれあるいてみた。きたのみちが上寺から東川、御堂山まで。みなみのみちが鍋屋町、十王堂から本神、釈迦山まで。〔きたのみち〕 〔みなみのみち〕 ◇ ◇ きたのみち 軽トラがぎりぎりとおれるだけのほっそいみちをみなみにふるいにはいっていく。みぎは1宅地めからふるいだけど、ひだりは2宅地めからふるい。あざ(字)は左右とも上寺(うえでら)で、土地利用は左右とも新興住宅地。 ゆるくみぎにゆみなって、ゆるくひだりにゆみなっていく。 ひだりうしろからきたみちと合流したとこからのぼりざかになる。左右…
◎新作ロードショー ぬけろ、メビウス!! 《2月3日(金)から 東京 新宿シネマカリテほかで公開》 通称「5年ルール」で契約先を雇止めになった女性が一念発起、かつて諦めた教員になるため大学進学を目指す。(2022年 日本 監督/加藤慶吾)
碧海郡(へっかいぐん)六ツ美(むつみ)は青野(あおの)のごうにある椿宮神明社(つばきのみやしんめいしゃ)。本社殿のひだりてまえに椿宮神明社造営記念のいしぶみがあって、つぎのようにかいてある。 ◇ ◇ 椿宮神明社造営記念 自然と水に恵まれた、ここ青野の地で、先人たちは645年創建の椿宮神明社を心の糧として生きて参りました。そして、疫病、災害、戦争の惨禍にもめげず、すばらしい自然と心を后世に残してくれました。その神明社の象徴である社殿は、百有余年の風雪に耐え、村人の消長とともに生き、その堅牢優美な姿を誇示してまいりました。が、百有余年の歳月は長く、社殿の随所に傷みを見るようになりました。社殿の傷み…
矢作川(やはぎがわ)にかかる美矢井橋(みやいばし)をひがしにわたって、青野(あおの)のごうをみなみにいくとちゅう、みちのみぎがわにすてきな神社を発見した。椿宮神明社(つばきのみやしんめいしゃ)って神社だった。 ◇ ◇ 境内みなみがわにとりい。 とりいのひだりてまえに椿宮神明社社記。天武天皇の時代の672年にあまてらすおおみかみをまつる前庭神社としてできて、のちにこの青野のごうに慈光寺をひらいた浄信によって椿大神社の祭神もいっしょにまつることになって、椿宮になまえがかわった」とのこと。 とりいをくぐってみぎにちょうずしゃ。銅板ぶきのやねがかっこいい。 つづいてつばきのさと。椿宮につばきのさと。 …