菅江真澄の旅日記を、電子テキストに入力している。 全集第一巻の最終の日記となる「外が浜つたい」を入力していた。 天明8年(1788年)、真澄は南部領から津軽領三厩を目指して歩いていた。 蝦夷地への渡航のためである。 すでに、天明5年に秋田から津軽に入り、蝦夷地に渡ろうとしていた。 しかし、当時津軽は大飢饉のあとで、その被害の跡が至るところにあった。 蝦夷地からも引きあげてくる者が多く、渡航するどころではなく、あきらめて南部に向かったのだった。 三厩は、津軽半島の先端にあり、今はその辺りを「津軽海峡線」が通っている。 真澄は、どんなところを歩いていたのだろうと、地図帳を引っ張り出した。 昭文社の…