天正19年2月28日(1591年4月21日)、秀吉公の命により、利休居士が切腹を賜った。この出来事により、多くの弟子がその死を悼んだことでしょう。 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも言われるとある。(Wikipedia参照)後の茶道でなく、茶の湯として完成者であり、独自の仏教感から、茶の湯を精神世界に繋げた偉人と思います。 豊臣政権を磐石にするために、その精神的な支柱を支えた文化人政治家でもありました。それ以上に戦国の武将です。 豊臣政権にあって、公儀事・政治事は大納言秀長公に、内内の事は、利休居士(当時宗易)に相談されよと、大友宗麟が大坂城を訪れた際に、秀長公より言われたと伝え…