第14番目の歌の作者は河原左大臣こと源融。 嵯峨天皇の皇子の一人ですが、臣籍に下り源姓を名乗りました。 恋多き人だったようで、光源氏のモデルの一人とも言われています。 今回は河原左大臣こと源融を紹介します。 河原左大臣とは 時代背景 百人一首の歌 河原左大臣とは 嵯峨天皇の第十二皇子で、臣籍に降った嵯峨源氏の初代になります。左大臣などを歴任し、死後は正一位の位を贈られています。 河原左大臣と呼ばれているゆえんは、陸奥塩釜の風景を模した、贅を尽くした六条河原院を造営したため。塩釜を再現するために実際の海水を運ばせていたとのことです。 また在原業平と同じく、光源氏のモデルと考えられています。在原業…