ラカンによれば、自分の認識は他者を通して生まれてくる。この意味において、主体は疎外されており、自分の起源を他者に奪われているのであって、このような他者との同一化に基づいて自我が形成されることを考慮すれば、他者に基礎づけられて成り立っている自分を自分であると思うことは一つの誤認であると言えるだろう。それがパラノイア的認識と言われるものであり、ラカンにおいては自我は錯覚や誤認を司る審級である。 (赤坂和哉『ラカン派精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第二章 三項関係および二項関係における分析症例」) 5月だぜ! 10時半ごろ起床。二年生の(…)さんから「先生、甘い粽と塩辛い粽、どちらが食べた…