「場」としての「具象的現實世界」に就いてー「洞窟おじさん」と「よし川」と千種区の御話ー さて物の世界は元より豊かである。 其のことは神がさう造り給うたところでもまたある。 だが過剰な富による豊かさは眞の意味での豊穣さを齎さない。 其は所謂「偽善」のうちにあるニセの富であり豊かさなのだ。 例えば「偽善」とは信じないことである。 信じないからさうして持って居るのにさらに持たうとして躍起となる。 だがすでに我我は持って居る。 持って居るが故に今此処に有る。 或は我我は何をも持ち得ない。 持ち得ないからこそ今此処に有る。 其の両極の間を生きるのがまさに人間の認識の常ぞ。 物の世界は常にさうして豊かで且…