電球に次いで、我が家の電気製品となったのは、多分、父親の手製のラジオだったかもしれない。父は電気や機械の専門家で、それは仕事であると同時に趣味でもあり、材料を寄せ集めてラジオを組み立てたのだと思う。私はその世界に疎いのだが、当時はラジオの組み立てはよくある趣味で、小中学生でもやる者がいて、そういう少年はのちに無線(ハム)青年やオーディオ・マニアへと進化していった。 ラジオの後にウチに来た家電は、テレビだったか洗濯機だったか順序は覚えていない。時代は、1950年代末のことだ。1958年のテレビ受信契約者は100万台だったが、翌1959年の皇太子結婚をテレビで見たいという欲望が日本国中に広がり、結…