教祖から若き神と期待されていた小寒子は十柱の神であるくにさづちの命の魂の生まれ変わりである故、天保九年十月ニ十六日、親子もろとも神にささげた神との約束のもと教祖より厳しい仕込みが続いた 神懸りに依りて神の社と定められた教祖は、神命の指示に従い、貧困者に家財を恵みつつ、貧のどん底目懸けて、荊茨を意とせず落ち切りたもうた。 御年五十六歳の時、本家売却の節と立合い、四十三年来連添いし、夫善兵衞氏の出直しに接せられた。この時より教祖は敢然として、神一条の直路を進まれたのである。 教祖の真実に山彦の如く応じて、神一条の妙教を宣伝すべく神命の従い、嘉永六年、小寒子は十七歳の妙歳の身を以て、従者と共に大阪に…