太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄戦の従軍看護要員として動員された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・職員生徒297人からなる部隊のこと。
両校の校章が白ゆりで、第一高等女学校の校友雑誌が「おとひめ」であったことから戦後につけられた名称。
南風原陸軍病院で従軍していたが、戦局の悪化により同年5月25日に病院から撤退命令が出され、本島南部の洞窟(ガマ)を利用した地下壕で従軍。
同6月18日に部隊解散命令が出たが、米軍のガス弾や集団自決により219名が死亡。沖縄師範学校女子部の戦死率は76.5%。県立第一高等女学校は64.8%に及んだ。
地下壕の跡地に「ひめゆりの塔」が建てられ、観光地となっている。