私が他者とは違う。それは当然のことだ。当然のことが当然のこととして了解される。個人の中でそれが了解され、仲間のあいだでそれが了解される。 社会全体の中で「違い」が認識され、了解され、許容されるとき、現在も続く、昭和の時代からの「いじめの構造」はだんだんと瓦解していく。そのようにぼくは考えている。現在の絶望的な状況の中でもやや楽観的でいられるのは、そのためだ。(岩田健太郎『ぼくが見つけたいじめを克服する方法 日本の空気、体質を変える』光文社新書、2020) おはようございます。臨時休校になってからというもの、平日の夜や土日に持ち帰り仕事をしなくても済むようになりました。コロナ前まで続いていた、昭…