本人 id:neko-yashiki によるプロフィールです。
(2007年撮影)
- 1963年 福岡・長浜生まれ。5歳まで魚市場の裏に住んでいたので、魚の味には今でもうるさい。
- 1969年ごろ 高校時代に無線部にいた父親の影響で、ハンダゴテを握りはじめる。
- 小学生時代 粗大ゴミ置き場から壊れた電子機器を拾ってきては部品を取り、いろんな回路を組み立てて遊ぶ。「既成品のデバイスを一切使わずに探石検波ラジオを作る」といったこともやりました。
- 中学生時代 パーツショップに飾ってあったTK-80をいじってみるが、挫折。
- 高校生時代 「クオーツ時計ユニットをヘンなものに組み込んでみる」くらいの遊びはやる。
- 浪人時代 このころ、「パソコン」という言葉が一般化。浪人決定と同時に、ショップの店先のPCでプログラミング(BASIC+アセンブラ)を覚え、ソフトハウスでバイトしたりする。
- 大学時代 化合物半導体の研究所で実験助手をやり、デバイスを「開発する側」に回る。
- 大学院(修士)時代 「ホログラフィックメモリを利用したマッチドフィルタリング」を研究。FFTの計算などで、コンピュータとは終始縁が切れなかった。
- 1990年 柄にもなく会社員になってしまう。半導体のプロセス・デバイス・装置シミュレーションの研究・開発に10年間従事。人手が足りなかったので、試作、測定、ネットワークのお守り、システム管理、ドキュメンテーション、ソフト外注管理、などなど何でもやった。
- 1994年 Linuxに出会う。最初にやったことは、会社のシミュレータのソースコードをFDで持って帰り、移植することだった(いけませんねぇ)。
- 1997年 いろいろあって、ライターになろうと決意する。「I/O」、「Computopia」などに時々寄稿しはじめる。
- 1998年 IDG「Windows NT World」(当時)に、Linuxサーバ構築記事を連載開始。
- 2000年 会社員生活から足を洗う。主にIDGの雑誌を中心に、Solaris、Linuxに関する記事多数。
- 2001年 アスキー「Linux Magazine」に、組み込みLinuxを追う「箱の中のペンギンたち」連載開始。「Linux Magazine」が2005年に休刊するまで続く。このころから、Linux技術教育にも携わるようになる。
- 2002年 手順がわかるSERIES RedHatLinux8でインターネットサーバを構築する本を刊行(田鍬享と共著)。
- 2003年 企業研修で「組み込みLinux」「ネットワークのセキュリティ管理」「LPICレベル1・2講座」といったテーマの講師業を依頼されるようになる(なんかテーマに節操ありませんね)。
この頃から、サイエンス・ライターとしての仕事も始める。主な媒体は「日本科学未来館」の広報誌「MeSci Magagine」、同館の特別企画の資料集など(全部、署名記事)。テーマは「導電性プラスチック」「地球気象のシミュレーション」「繊維の最先端」「再生医療の最先端」など、やっぱり節操がない。というか、何が来てもある程度こなせて、本人が面白がりながら書いてしまう。
- 2004年 人と接する仕事をしていないと息がつまるので、専門学校の講師業を始める。教えている内容はJavaとアセンブラ。エンジニア業もやっていないと気が詰まるので、パートタイムで半導体の設計関連のエンジニアをやるようになる(2006年初頭まで)。本人は著述業が本業のつもりなので、この間も雑誌記事の執筆多数。
- 2005年 5月、エンタープライズLinux導入ガイドを刊行。もちろん、雑誌記事も書いています。
- 2006年
2005年後半から徐々に歩行が不自由になったので、著述業に専念。
2006年後半、歩行がほぼ不可能になるが、本人は至ってお気楽に車椅子生活を楽しんで現在に至る。
精神障害者手帳(3級)を取得。
右上肢の運動障害が発生。
肢体不自由に関して確定診断を得る。
筑波大学大学院・数理物質科学研究科(電子・物理工学専攻)、博士後期課程に進学するもアカデミック・ハラスメントに遭う。ハラスメントの内容のごく一部を、別ブログ「発狂練習」に記載(記載できた内容は、実際に起こったことの中では比較的深刻でないもの)。
著述業は継続。信濃毎日新聞に「今の私にできること」を連載開始(〜2008年6月)。よくある思春期の問題に自分がどう対応してきたかの体験談。中高生向けに書いたのに、30〜40代の読者から反響多数。
身体障害者手帳(2級)を取得(長かった……)。
このころ、それまでは問題のなかった左上肢にも運動障害が発生する。
右手での筆記等がほぼ不可能になる。
手指に残っている能力を使って、ほぼ以前と同じように筆記を行えるようになる。見守りがあればハンダゴテも扱える。ブレッドボードはちょっと難しいかな。
組込みソフトウェアエンジニアのためのハードウェア入門 (組込みプレスSelection)を刊行(後閑哲也さん、中根隆康さんとの共著)。
日本数学会JIR(ジャーナリスト・イン・レジデンス)2010 に参加。東大に滞在。
「日本Androidの会」に福祉部を設立。世話人の一人として運営のお手伝いをする。2011年末をもって脱退。わが黒歴史の一つ。
日本数学会JIR2011に参加。東工大に滞在。
「ダイヤモンド・オンライン」にて、連載「生活保護のリアル」を開始(2013年7月現在、連載継続中)
筑波大学大学院を単位取得退学。
日本数学会JIR2012に参加。九大・東北大に滞在。
ソフト・エッジ: ソフトウェア開発の科学を求めて (丸善ライブラリー)を刊行(中島震先生(NII)との共著)。
生活保護リアルを刊行。
いちばんやさしいアルゴリズムの本を刊行(執筆協力・永島孝先生(数学者))。
雑誌記事はあまりにもたくさんありすぎ。
「みわよしこ」でGoogle検索してください(「みわ よしこ」で検索しないと引っかからないものもあり)。Web媒体に書いた記事は、すぐに読んでいただけます。
その他
- 猫と暮らすのが大好き。現在も二匹の猫と暮らしている。
- 植物も大好き。どこを歩いていても、植物ばかりに目が止まってしまう。
- 料理が大好き。しかしバテバテの時が多く、つい外食やお惣菜に依存し、料理が出来ないのでストレスが溜まる。
- バレエが好き。2006年まで、週に一度のレッスンの時間は、なんとか確保して無理やりバーレッスンやってた。現在も、大きな浴槽の中ではストレッチングに励む。
- 大学時代から「どぶろく」を作り始める。焼酎もワインも作ったことがある。NIFTYに「FSAKE」が存在したころ、「自家醸造の部屋」のボードオペをやっていた。
- 高校3年の1学期まで、芸術系大学(国公立だと日本に3校しかない)の作曲科に進むつもりだったが、いろいろあって「理転」し、大学は物理学科に進んだ。未だにピアノと作曲のレッスンに通っているが、自宅には壊れてないピアノはない。