私が個人的に考えました“報酬”には、労働対価あり、世話になった感謝の対価もあり、無償の愛への対価もあります。これらの対価を総称して報酬というのでしたら、全ての行為や助言に対して報酬が生じることになると考えます。これらに加えて、内発的動機や自己に対する頑張ったことそのものである「グリット(やり抜く力)(Duckworth etal., 2007)と忍耐力」が成功を齎す鍵となりますので、これも報酬の一部と考えます。 学者や専門家は、決して私のような考えを支持しないでしょうし、内発的動機などへの考慮は一顧だにしないでしょうから、報酬を与えるとか、報酬と見做すとか言うのは、地さ藍には考えられないでしょ…