アゼルバイジャン

(地理)
あぜるばいじゃん

アゼルバイジャンとは、カスピ海南西沿岸にあるアゼルバイジャン人が多く住む国あるいは地域。ペルシア語ではアーザルバーイジャーン。

旧ソ連から独立したアゼルバイジャン共和国と、その南隣に位置するイラン北西部のイラン領アゼルバイジャン(西アゼルバイジャン州、東アゼルバイジャン州、アルダビール州)が存在する。アゼルバイジャン共和国の首都はバクー。イラン領アゼルバイジャンの中心地はタブリーズ(東アゼルバイジャン州州都)。アゼルバイジャン人の人口はアゼルバイジャン共和国よりもイランのほうがかなり多く、またイラン国民の四人に一人はアゼルバイジャン人である。

アゼルバイジャン共和国を北アゼルバイジャン、イラン領アゼルバイジャンを南アゼルバイジャンと呼ぶ場合もある。歴史的にはイラン領アゼルバイジャンが本来のアゼルバイジャンで、現在のアゼルバイジャン共和国にあたる地域はアゼルバイジャン人が多数派民族であることから後にこちらもアゼルバイジャンと呼ばれるようになったらしい。歴史的にはイラン高原を支配していた王朝*1が全アゼルバイジャンを支配することが多かったが、ガージャール朝の時代にロシア帝国が北アゼルバイジャンを獲得。以降、南北アゼルバイジャンは別々の国としての歴史を歩むことになる。

アゼルバイジャン語は南西チュルク語(オグズ諸語)の一派で、同じ南西チュルク語のトルコ語やトルクメン語とごく近い。歴史的にはアラビア文字で表記されてきたが、現在のアゼルバイジャン共和国ではラテン文字で表記する*2。一方、イランでは現在もアラビア文字を使用する。

宗教はイスラム教シーア派(十二イマーム派)が主流で、イラン・アゼルバイジャンの宗教的特色となっている。政治的には、イランが十二イマーム派の神権政治的なイスラム原理主義の準独裁国家であるのに対し、アゼルバイジャン共和国は極めて世俗的な準独裁国家である。

アゼルバイジャン共和国と隣国のアルメニアは、両国間に領土問題を含む複雑な民族問題を抱え、ソ連崩壊後のナゴルノ・カラバフ紛争で泥沼の戦争に陥るなど、関係は極めて悪い。スンニ派主流のトルコとは、民族的・言語的な親近感もあってか関係は極めて良い。アゼルバイジャン共和国とイランとの関係は、歴史的・宗教的類似性による親近感がある*3一方で、過去にイラン領アゼルバイジャンの独立運動があったことや、イラン高原を支配していた王朝の性格、特にイランとアゼルバイジャンに十二イマーム派をもたらしたサファヴィー朝がペルシア系かアゼルバイジャン系か*4という問題もあり、一定の緊張関係があるようである。

アゼルバイジャン共和国はワインの産地としても知られる。イラン領アゼルバイジャンでも(イランの他地域と同様に)多くの人が自家製密造ワインを楽しんでいるものと思われる。

*1:アフシャール朝、ガージャール朝はトルクメン≒アゼルバイジャン系。サファヴィー朝については後述脚注参照。

*2:ソ連時代初期にラテン文字(現行のラテン文字とはやや異なる)での正書法が定められる。スターリン体制下でキリル文字化され、独立後再びラテン文字化。

*3:イランの最高指導者でアゼルバイジャン人でもあるハーメネイー師の談話より。

*4:サファヴィー朝は、イランではペルシア人の民族意識の高まりで生まれたペルシア系王朝ということになっているが、アゼルバイジャン共和国ではイラン高原を支配したアゼルバイジャン系王朝ということになっている。実際のところは、サファヴィー朝はペルシア系・アゼルバイジャン(トルクメン)系双方の色彩とも濃く、何よりサファヴィー朝時代にはそういうことは誰も気にしていなかったと思われる。

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