清水:誰かが犠牲になることが、もっと醜い形を採ることもありますよね。 ルネ・ジラールは宗教の根源には暴力やサクリファイスがあると考えている。一人の人間が他のすべての人のために犠牲にされる、共通の敵を作りだし、それに暴力を向けることで共同体は安定したものになるというのですが、のちにその構造が隠蔽され、犠牲者が美化されるところに《聖なるもの》の起源があるとジラールは主張した。しかしサクリファイスが、逆にそうした構造をまで含めて可視化するものとして犠牲になる当事者によって選ばれることもあり得る。 捨身行のような例も、あるいはそうした可視化の例と捉えられないでしょうか?奥野:人類学で言えば、サクリファ…