アラファト議長

(一般)
あらふぁとぎちょう

ヤーセル・アラファト (Yaser Arafat)
パレスチナ・アラブ抵抗運動の指導者、政治家。パレスチナ解放機構 (PLO) 議長、パレスチナ暫定自治政府長官。
1929年8月4日、エルサレムに生まれる。1956年カイロ大学卒業。51〜57年ガザのパレスチナ学生連盟の委員長。57年エジプト軍予備将校となる。57〜60年技術者としてクウェートに赴く。パレスチナ解放機構(PLO)の一組織アル・ファタハの創設に貢献する。68年アル・ファタハのスポークスマンとなる。69年PLOの議長に就任。74年10月第四次中東戦争後のラバト首脳会議で、PLOがパレスチナ人の唯一正当な代表であることを認めさせ、同年11月国連総会に初めて出席した。イスラエルの存在を否定することは不可能であるとの現実的認識にたち、パレスチナ問題の政治的解決を図ろうとするが、最後まで武力闘争を主張する過激派との間に摩擦がある。81年10月来日(その後も、89年10月、96年9月に来日)。82年6月のイスラエル軍のレバノン侵攻の結果、同年8月、拠点であったベイルートからの撤退を余儀なくされた。93年9月にイスラエルと暫定自治原則に合意し、94年にノーベル平和賞を受賞する。96年1月にパレスチナ執行評議会(自治政府)の選挙が行われ、その結果同評議会の議長に就任した。98年10月アメリカ・クリントン大統領の仲介でイスラエル・ネタニヤフ首相との中東和平実施の交渉に入り、合意文書(ワイ合意)に調印した。2004年11月、体調の悪化からパレスチナを離れて渡仏し、11日逝去。享年75。

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