António Manuel de Oliveira Guterres
アントニオ・マヌエル・デ・オリベイラ・グテーレスは、ポルトガルの政治家。
1949年4月30日、生まれ。
ポルトガルの首都リスボン生まれ。母校であるポルトガルのInstituto Superior Tecnico(インスティトゥト・スペリオール・テクニコ)の客員教授でもある。
既婚。子どもは2人。
1981年から1983年までは欧州評議会議員総会員だったほか、「人口統計、移住、難民」委員会議長を務めた。また、世界中の社会民主主義的な政党から結成される社会主義インターナショナルで活躍し、1992年から1999年まで副議長を、1999年から2005年6月までは議長を務めた。
ポルトガル首相時代(1995年10月30日から2002年3月)には、東ティモールでの虐殺を阻止するため国際協力に尽力した。
2000年初めには、いわゆるリスボン戦略を採択に導き、また欧州理事会議長として第1回EU(欧州連合)・アフリカ首脳会議 の共同議長を務めた。
1991年にポルトガル難民評議会を創設し、1991年から2002年まではポルトガル共和国諮問委員会員を務めた。
ルード・ルベルスが、複数の女性職員に対するセクハラ疑惑で辞任したのを受け、2005年6月15日から国連難民高等弁務官(UNHCR)となり、2010年4月の再任を受けて2期目の任務を始め、2015年12月まで務めた。
2017年1月1日、第9代国際連合事務総長に就任した。