ユダヤ人少女アンネ・フランクにちなむバラ。ベルギーの育種家デルフォルゲ氏が、アンネの没後15年目の1960年に作出した。「アンネの形見」(Souvenir de Annefrank)と命名され、アンネの遺志を継いで平和活動に取り組んだ父のオットー・フランクに対し贈られた。平和のシンボルとして各地で栽培されている。 つぼみは赤く、花はピンクから黄色へと変化していく。
関連語 :植物
6月12日は「アンネの日記」の日なんだそうで、本日2本目の投稿。 1942年に13歳ののアンネがこの日に日記を書き始めたことにちなむそう。 私がこの薔薇をはじめて知ったのはムスメの中高のお庭に植えられていたから。 日本に入ってきた当初は販売されることなく、譲渡という形で教会や学校に広まっていったそう。 「アンネの日記」の日に因んで、5月に撮った「Souvenir d' Anne Frank」を♪ ↓10年前に書いたアンネのバラの記事 kazenonaka.hatenablog.jp
ちょっと早咲き? ※当ブログではアフィリエイト広告を利用しています 5月のお散歩 5月は公園や、住宅街のお庭でもたくさんの花々が競うように咲き誇る季節ですね。 どこからともなく甘い花の香りも、風に乗って漂ってきます。 そしてこの時期は、梅雨前の貴重なひととき。 お散歩にはもってこいです。 携帯電話を持って、 スニーカーを履いて、 帽子を被って、 どんどん歩きます。 調子が良ければ、少し遠出もします。 先日、少し遠くの図書館の前を通りかかったところ、何とも言えない色合いのバラがちょうど見ごろになっていて、思わず足を止めました。 みると 「スーブニール ドゥ アンネ フランク」 とあります。 名前…
昨日開催された 全国山城サミット朝来大会に 家族が参加しました。 高橋英樹さんがきてたそうで、 対談が面白かったそうです。 私と末っ子は、 開催中は、 近辺を散策していました。 綺麗な紅葉🍁と 会場と図書館との間に、 アンネのバラ🌹を見つけて癒されてました。 オレンジ色のきれいなバラです。 うちの庭にもある花ですが、 瀕死になったので、 春に接木したのがありますが、 持ち堪えてくれるかしら…。 ランキング参加中薔薇が好き 岡山情報ではないですが…(^^; こちらを押してもらえると 更新の励みになります。
今日は 今月2回目の オルゴールの館『pure soul 』 行きでした🍀 アンネの薔薇の花びらを持ち寄って シルクのスカーフを染めるという なんともワクワクな体験🎵 アンネの薔薇の花びらを集めていて冷凍保存してたので(といってもわたしのはほんの少し(//∇//)) それとお酢を混ぜてシルクのスカーフを染めるという工程(〃´▽`) お天気もよくて 心地よい風も吹いて お外での作業は最高に気持ち良かった(*´∀人)💖 言われるがままに簡単な作業だけさせてもらって(*´艸`) 先生にお世話になりました😊 さっちゃんも お水出すのに行ったり来たり(//∇//) ほんとにありがとう💖 で、どなたか歌を…
昨日夕刻また夫の体調が悪くなり、食欲がないというので柔らかめに炊いたご飯と鶏肉とワカメとネギ多めのスープを作る。 夫はおじやが苦手で、汁かけご飯は食べる。 汁かけご飯でも多分胃には優しい。多分。 夫、ある程度食べたら食欲が出たようで、カニカマなどをつまみ食いしててホッとする。 今朝もなんとなく怠そうだ。 私は明け方に胸痛と左脚の大きな攣り。流石に悲鳴が出た。 Xの投稿で来月早乙女勝元先生のめちゃ初期映像作品が上映されると知り、先生の関係者にも連絡した。若き日の先生とお母様が出演しているそうな。予約した。 早乙女夫妻が愛したアンネのバラ、咲いてます。 草ぼうぼうの方が地球に優しい説があるので、草…
ほったらかしの中庭でアンネのバラが咲いている。
笑い文字の小畠恵美です。 福山市で介護福祉士として働き、日々の中にいのちを見つめながら笑い文字初級トレーナーとして「笑顔の筆文字コミュニケーション」を教えています。 6/8(土)ホロコースト記念館のアンネの日記イベントで笑い文字のありがとうを贈ろうをしてきました。 岡山県から中級講師の京免栄美子先生、尾道市から上級トレーナーの冠亜矢先生がお手伝いに✨ 今回笑い文字のワークショップは、記念館にある「こどもの部屋」を使わせて頂きました。 丸い入口の部屋がメルヘンで素適✨ 入口には案内板とチラシ、そして来てくれた方へ無料の笑い文字のカレンダーのプレゼントを配置🎁 車椅子や足腰弱い人の為に会議用の長テ…
去年の春は1輪ずつ、3輪咲いて終わりだった歌舞伎。今年は3輪同時に咲きました! 歌舞伎とは思えない花色。アンネのバラみたい。 1ヶ月前に咲いた花。気温が高いとピンクが強くでるのかしら? 蕾は黄色
暖かくなりバラが咲く季節に、京都の植物園のばら園へ行ってきました。 バラ園は京都府立植物園の南に位置しています。正門からは右手へ、北泉門からは真っ直ぐ行くとバラ園です。この2つの入口がバラ園には近いです。 今回は車で行ったので駐車場の場所の都合もあり、正門からではなく、北泉門からの入園です。(ほんの少しですがケチってしまいました。)植物園専用の駐車場は正門のすぐ横にあります。 植物園内はとても広いので、入口に置いてあるガイドマップをもらっていきました。 植物園に入園 満開のバラ園 うらら ゴールデンボーダー ローズのガゼボ 【アンネのバラ】スプニール ドゥ アンネ オクラホマ ジャスミーナ ピ…
東山の薔薇園にてー「スノーインサマー」と「ペパーミント・ゼラニウム」の香り及び「アンネの薔薇」のことー ビキニからのぞく豊満ボディで一躍…61歳で披露した熟女ビキニも話題!日本の母・「宮崎美子」の半生 (msn.com) さう宮崎 美子氏は🗾の母なのか。 ちなみに中尾 彬氏は物凄く理性的に「終活」をして死んで行かれたやうだ。 また墓も生前に容易し其の墓石には何と「無」と刻まれて居るさうだ。 「無」 さうだ、まさに其れが正解ぞ。 くれぐれも様様な「生の誘惑」になど負けてはならん。 でも君は現在も過去も未來も其の全部でむしろ負けて居やあしないのか。 いやワシのやうな認識の者はすでにニンゲンの生もま…
池袋モンパルナスの会会員展にてギャラリートークをした。 トーク前に喘息の大きな発作をやったために咳が残っていること、前日にインフルエンザとコロナのチェックを受けて陰性だったことなどを話し、ご了承をお願いした。 この展覧会でのギャラリートークは2回目。残念ながら途中どうしても咳が出た。 丸木俊のブルガリア人形は恩師早乙女勝元が彼女の個展で買い求めたものと聞いている。先生の形見分けで私の手元にきた。 先生と丸木俊さんの交流は戦後葛飾区の童話、純文学、などの青年たちの集いから始まり、松谷みよ子、いわさきちひろ、加太こうじらと、合唱、演劇もやっていたと聞いた。この青春期の話しを先生がされる時は若々しく…
グンゼスクエア アンネのバラ
2週間ほど前に、愛知県稲沢市の稲沢公園と同一宮市の萬葉公園高松分園を訪れた。前者はバラの、後者はアヤメとカキツバタの開花状況を、自分の眼で確かめるためだった。ネットで検索するより自分の目で見たほうが確実なので。 www.watto.nagoya なんでそんなことをしているかというと、たびたび書いている通り高齢の身内の無聊を紛らわせようと近場に車で連れ出す行き先探しのためだ。この日(5/16)は朝方は曇って時おり小雨まで降っていたので出かける予定はなかったが、お昼頃から天気が回復したため急遽どっかへ行くことにした。それでこのカードを切ることにしたのだ。カードを切るって何なんだ? まずは稲沢公園を…
今朝も寒くて足が浮腫んでしまった。 橋本病のせいか、自律神経なのか、体温がとても揺れる。私は変温動物。 不思議なことに寝る前にソラナックスを飲んでおくと朝の体温は落ち着く。が、ソラナックスは出かける前の日と当日だけに使いたい。 使いすぎると認知症になりやすいとの説もあるのでなるべく使わないようにしている。 それでもソラナックスは私の場合動悸にも効くので手放せないし、手元にないと不安になる。悩ましい。 塩沢兼人さんの命日。 仕事ができるようになり、NHKでの収録後に原宿駅まで一緒に歩いたのがはるか昔。 早乙女勝元先生の命日。 先生が大切にしていたアンネのバラは我が家の草ぼうぼうな中庭で元気です。…
↓気仙沼の古美術商で売られていた熊谷登久平の鯉のぼり。この後買い手がついたそうでめでたい。実は私も買いたかった。 ↓どなたかもらってください。独立美術協会で海南賞をとった作品。千厩の生家と思われます。 義父は独立賞を狙っていた。 修復が大変ですが🙇♀️ 体温の上下がひどく、体調も変なので甲状腺が疲れているのかな的な甲状腺機能低下症が持病な私。 ここ数日は記憶も飛び始めているので、今日から明日の午前までは何もしないで寝る。娯楽系以外の本も読まない。 一昨日、戦時中の独立美術協会の資料が届くはずが何故か義父が師事した藤島武二の追悼特集が届いた。休めということかなと昨日は夫が食べるものを買い込み冷…
アンネ・フランクの形見とも言われる、≪アンネのバラ≫を初めて観ました ホロコーストを生き延びたアンネの父オットー氏がかつての隠れ家に咲いていたバラをもとに園芸家に依頼し、平和への願いを込めて作られた新種だそうです。 このバラは花の色がしだいに変わり、つぼみのときは深紅、開花すると黄色やオレンジ色、散り際はピンクになります。開花したはずの少女の多様な可能性と、それらが戦争で奪われてしまった無念さを思いました。 『アンネの日記』が今なお世界中の読者を惹きつけるのは、戦争の被害者というだけでなく、日記の中に思春期の少女の生き生きした感性が溢れているからでしょう。 ≪アンネのバラ≫はオットー氏を通じて…
五月晴れの五月がきたけど曇りだ。 早乙女勝元夫妻が大事にしていたアンネのバラが咲いた。