これは予想というかまだ中身としては全然詰められていない考えでしかないのだが、身体と言語のきしみが小説に反響しているかぎり、小説は自我なんていうちっぽけなものでなく、人間の起源に向かいうる。 具体的な題材として〝人間の起源〟を書かなくても、身体と言語のきしみが反響しているかぎり、そこには身体にどのように言語が刻みつけられるのかという人間の起源が書かれることになる。反対にそのきしみが反響していなければ、小説で仮りに人間の起源を書こうとしたとしても、そこで立ち上がってくる問題は、身体と言語が安定した後での自我の悩みや憂愁みたいなものにしかならないだろう。 ——と、書くといかにももっともらしいけれど、…