インドネシア独立戦争

(一般)
いんどねしあどくりつせんそう

オランダ植民地下のインドネシアの独立戦争

1945年

日本の敗戦後、連合軍は進駐できるまでに、旧日本軍に治安の維持と武器の保持を命じる。これに対しスカルノとハッタは8月17日独立を宣言する。
インドネシア共和国軍は、一部独立に同情的な旧日本軍から独立に必要な武器を「廃棄されたもの」として、入手していた。10月16日インドネシアの一部共産党勢力が、武器の入手がままならないことにより、旧軍属、オランダ人を拘束し、虐殺を行う事件が発生する。(スマラン事件)
10月イギリス軍とオランダ軍が進駐、11月イギリス軍の将軍が暗殺されたことにより、イギリス、オランダ軍とインドネシア共和国軍の全面衝突となる。

1946年〜

1946年11月リンガルジャティ協定が結ばれ一時停戦、このときイギリス軍はインドネシアより撤退する。
1947年7月オランダ軍は協定を破り主要都市を占領する。(第1次植民地戦争)
1948年1月レンヴィル協定により再度停戦。
1948年9月インドネシア左派共産党による武装蜂起が起こるがインドネシア共和国軍に鎮圧される。(マディウン事件)
1948年12月オランダはレンヴィル協定の破棄を通告、軍事行動を行う。(第二次警察行動)
1949年5月ルムロイエン協定により再度停戦。
1949年12月27日にハーグ円卓協定が発効し、インドネシア連邦共和国が成立する。


なお、この戦争に旧日本軍約2000名が参加し、うち約1000名が戦死している。

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