記録上確かなこの国の建国は、「建武中元二年(注:紀元57年)倭奴國奉貢朝賀」(3~5世紀の後漢書)と記録され、博多湾入口の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印に記された百余国の連合国家の「委奴国・倭奴国」に遡ります。そして、記紀は「葦原中国」「豊葦原水穂国」の建国者はスサノオ・大国主一族であるとはっきりと記しています。 私はこの中日の記録から「其国本亦以男子為王 住七八十年」の男王がスサノオ・大国主7代であり、卑弥呼(霊御子)の「鬼道」(祖先霊信仰)はこのスサノオ・大国主の霊(ひ)を祀る宗教であることを解明してきました。ただ「委奴国・倭奴国」をどう読むかについては、最初は「ひなの国」と読み、…