ナポレオン戦争後、ウィーンで開催された講和会議。
本来はオーストリア、プロイセン、イギリス、ロシアの四大戦勝国が好き勝手に戦後処理を決める場になるはずだった。
が、フランス代表タレイランの天才的外交手腕が炸裂、まず巧妙に立ち回って会議への出席を実現し、ついで議定書の草案を前に有名な「Je ne comprend pas*1」を連発して人々を煙に巻く。そして「正統主義」を振りかざして革命前の状態にヨーロッパを復帰させるとの大義名分のもと、敗戦国フランスの戦争責任の大半を回避させることに成功する(第一次パリ条約)。
最終的なナポレオン没落後のヨーロッパの状況を、戦後秩序を定めたこの会議にちなんでウィーン体制*2と呼ぶ。
メッテルニヒ(議長)
アレクサンドル1世
カースルレー
ハルデンベルク
タレーラン