榎本武揚 万里小路正秀 思春期を露都で過ごした公卿留学生 明治期になってからの最初のロシア留学生の一人が万里小路秀麿(のちの正秀)である。 彼の名前は明治4年の岩倉使節団に随伴した50人余りの留学生リストの中に含まれている。 横浜を出港した時、彼の年齢は13歳と二ヶ月あまりだった。 榎本武揚のペテルブルグ通信 榎本武揚 はロシア公使として4年あまり首都のサンクト・ペテルブルグに駐在したのち、帰国にあたってはシベリア経由の道を選んだ。旅の時期は明治11年(1878年)の7月26日から9月30日にかけてである。 ペテルブルグからモスクワまでと、モスクワからニージニイ・ノヴゴロドまでは鉄道が動いてい…