ostracom。元々古代ギリシアでは、カキの一種のこと。これをちょうど古代日本のメモ記帳に「木簡」を用いたように、サササッと文字や句や歌や挿絵などを記した。やがてその政治利用が始まり、つまりは享保の徳川吉宗と同じく「目安箱」化し、6000票を超えた悪政僭主や危険人物などは10年間の国外追放になった。 のちに貝殻から陶片に替わるのだが、呼び名はそのまま継承され、この罰則のことを「貝殻追放」(=ostracism)といった。
もくじ アテネでは最初王政が敷かれていましたが、廃止され貴族の支配する時代が続いていました。 参政権は戦争に参加した人に与えられます。国を守るために戦った人が政治を行うのは当たり前だよねって感じです。貴族は騎兵として戦争に参加していたので政治を独占していました。 そんな中、アテネの商工業が発展していくにつれて、平民は裕福になり、武具の値段は求めやすいものになっていきます。平民たちは武具をそろえ重装歩兵として戦争に参加します。 平民「戦争に参加したので参政権よこせー!」となります。まあそれはそう。 ここからみんなで話し合って政治の方針を決めていく民主政へと少しずつ近づいていくのです。 【ドラコン…
どうでもいいこと。 ブログの題名とニックネームの由来について。 まず、idはostracismになっているけど、これは世界史で習ったものが出どころ。 古代ギリシアでは僭主(せんしゅ)と呼ばれる力を持った人が現れて、独裁的な権力を握ったそうな。そこで、これではいかんということで、市民がオストラコンと呼ばれる陶片に僭主になりそうな人の名前を刻みつけて投票し、ある程度票を集めてしまった人をしばらくの間街から追放したらしい。この独裁者の出現を防ぐ仕組みがostracism(陶片追放、オストラキスモス、オストラシズム)……なのだ! 何か深い意味でもあるのかなーなんて思われそうだけど、特にそういうわけでも…
そんなにこまめに文章を書いたりはしないのですが、ほかの人に説明をするため、話題を共有するため、議論をするためなどにいったんまとめたりします。それがこのブログなわけですが、そういう面倒な話が短いスパンで時事ネタとしてあがることは良いことではない気がします。 大衆のまとまった動作が人ひとりをどこかの方向に押し出すことはときおり問題にはなりますし、大なり小なりどこの環境でも問題にはなっています。根本的に人間は、大衆は、道徳は、などというのがそれらに効果がないことはもうすでに今回また大きな事件が発生してしまったことでわかると思います。というかずっとわかっているはずです。そのような状況が消滅していない時…
死海文書 死海英語旧約聖書 出典:フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年5月) 第一洞窟から見つかったイザヤ書の第二の写本(1QIsab) 死海文書(しかいもんじょ、しかいぶんしょ、英語:Dead Sea Scrolls)あるいは死海写本(しかいしゃほん)は約2、000年前の古文書であり、1947年以降死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にあるクムラン洞窟などで発見された972の写本群の総称…
と、ゆー訳で、引き続きEUクレバドくんで上級お墓クエに挑戦したシルク。ダメ増ダメ吸を使用し、クレでDリカとカースガードを発動し、背の高い湧きで見えなくなるユニさんのタゲが外れないよーに注意しつつバドの範囲攻撃でちびちび削り、憂さ晴らしにたまにクレでトラし、防具が壊れたら巻物で補修して、ストレスを感じつつ気長に倒してオストラコンを50個収集完了!レネニューさんに報告して、バルテグルさんまで文書を運んだらクエ達成(^_^) やーっと終わった(^_^;中国内功剣盾くんと違って火力は無いし、ユニさんからタゲを外さずに出来る自バフは少ないしで、EUクレバドくんの厳しさをしみじみと再確認(笑)これまで使っ…
と、ゆー訳で、EUクレバドくんで上級お墓クエに挑戦中なシルク。以前中国内功剣盾くんで挑んだ時と同様に、反射するスフィンクスさんとミイラ湧きなオシリスさんはパス。セクメトさんとネフティスさんとホルスさんにお相手願ってみたが、火力が弱々なEUクレバドくんだとダメ増ダメ吸付きでも倒すのに20分前後かかる(^_^; 何故かセクメトさんとネフティスさんとはたまに出逢えなかったり、途中でタゲを外してしまい断念したりで、1日に手に入るオストラコンは5個か6個。1週間の成果は36個で、以前から持っていた1個と合わせて現在37個。あと3日でクエ達成の予定だが、経験値的にはほとんど増えないどころか、数回逝っている…
よしをです。陶片追放は、オストラキスモスといい、オストラコン(陶片)を用いた投票により、アテネポリスにとっての危険人物を、ポリスから追放する制度です。実際に、この制度によって、追放された例は、判明しているもので、12例あります。 紀元前480年にサラミスの海戦で活躍したテミストクレスは、陶片による投票で、追放されたひとりです。アテネのアゴラ博物館に展示されている陶片には、「ネオクレスの子」の記載があります。 プルタークの英雄伝にも、陶片追放の記載があります。アルキビアデスは、マラトンの戦いでも活躍したアテネの将軍ですが、ポリス内の政権争いで敗れ、陶片追放にかけられて、一時アテネを追放されました…