Georges-Eugène Haussmann
ジョルジュ-ウジェーヌ・オスマン(1809年〜1891年)
フランスの政治家(というよりは行政官?)。復古王制期から第二帝政期にかけて活躍。
特に、セーヌ県知事としてパリ市街の大改造を行い、こんにちのパリの原型を作り上げたことで知られる。
中世以来常にフランスの中心だったパリは、産業革命の時代を経て肥大化し、近代化が焦眉の急となっていた。ナポレオン三世の命を受け、オスマンはパリの改造を行った。
衛生状態の悪い中世都市は常に疫病の温床であったが、オスマンは下水道を整備して衛生状態を画期的に改善させた。
また、それまでの中世的な曲がりくねった市街を、放射状の巨大な都市計画道路が貫く姿にした。
これまでパリは「革命の都」とも呼ばれ、一朝事あらば蜂起した市民がバリケードを築いて市街各所に立てこもるといった事態が発生していた。そこで軍隊や警察部隊の投入に適した幅広の道路を整備し、市街の形状を改めることでバリケードの建設や街区の封鎖を行えないようにするという意図があった。
改造計画にはパリを第二帝政の帝都に相応しい姿に整えるという意図も含まれており、様々な文化施設や公園が整備されるとともに、都市景観上の配慮もなされていた*1。
*1:治安上の要請で行われた部分と分別しきるのは難しいが