(オランダ語 : Vereenigde Oostindische Compagnie、略称VOC) 1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置され、重役会は17人会(Heeren XVII)と呼ばれた。18世紀末に政府により解散させられた。
本書は、歴史フィクションとして抜群に面白かった。 特に、当時の植民地主義国オランダの、東インド会社の悪逆非道の数々、その下で使われていた船主や兵隊たちが、いかに劣悪な環境で使い潰されていたかは、非常に興味深く、ためになる内容だった。 一方、メインの事件、異端者イエロニムスが独裁者として、遭難者たちを支配するメインストーリーに入ると、その凄まじい作られ過ぎたストーリーに唖然とさせられる。 この三文小説のように出来過ぎた物語が、何の疑問もなく、歴史家たちに承認され、歴史的事実として受け入れられているという現実にだ。 これに対して、誰もツッコまないというのは、どんだけ、歴史家もその読者も低能だらけで…
「情報は、時に軍隊よりも強力な武器になります。」 江戸幕府が鎖国政策を敷いていた17世紀から19世紀にかけて、日本は外国との接触をほぼ完全に遮断していました。しかしその「閉ざされた国」の中に、定期的に世界の情報が届けられていたことをご存じでしょうか。その情報源がオランダ風説書です。長崎の出島に拠点を置くオランダ東インド会社(VOC)が毎年幕府に提出したこの文書は、鎖国下の日本が世界の動向を知るほぼ唯一の窓口でした。そしてその内容は、単なる情報提供ではなく、オランダ東インド会社(VOC)の巧みな対日戦略の一部でもありました。 長崎の出島とオランダ東インド会社(VOC)の特権的地位 まず出島とオラ…
「歴史上、永遠に続いた覇権は一つもありません。」 17世紀、世界の海を支配したオランダ。オランダ東インド会社(VOC)を中心に構築されたその海洋帝国は、まさに無敵に見えました。しかし18世紀に入ると、その覇権は静かに、しかし確実にイギリスへと移っていきます。この覇権交代は単なる軍事力の優劣ではありませんでした。金融・産業・外交・制度という複合的な要因が絡み合った、歴史上最も重要な権力移行の一つです。その過程を丁寧に見ていきましょう。 17世紀オランダの黄金時代 まず17世紀のオランダがいかに圧倒的な存在だったかを確認しておきましょう。「オランダの黄金時代」と呼ばれる17世紀、オランダは人口わず…
「征服者は必ず、支配の象徴となる都市を建てます。」 ポルトガルがゴアを建設し、スペインがテノチティトランの廃墟の上にメキシコシティを築いたように、オランダもアジア支配の拠点となる都市を必要としていました。1619年、オランダ東インド会社(VOC)はジャワ島西部の港町にバタビアという都市を建設しました。現在のインドネシアの首都ジャカルタです。この都市の建設は単なる交易拠点の確保ではありませんでした。アジア全域に張り巡らせた貿易ネットワークの「司令塔」を作るという、オランダ東インド会社(VOC)の壮大な野望の表れでした。 なぜジャワ島だったのか オランダ東インド会社(VOC)がバタビアの建設地とし…
「世界史上最も強力なビジネスモデルが、17世紀のオランダで誕生しました。」 スペイン・ポルトガルが新大陸とアジアの富を独占していた16世紀。ヨーロッパの北の片隅に位置する小国オランダが、やがてその覇権を根底から覆すことになります。 その最大の武器は、大砲でも艦隊でもありませんでした。株式会社という革命的なビジネスの仕組みでした。1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC、Vereenigde Oost-Indische Compagnie)は、単なる貿易会社ではありませんでした。軍隊を持ち、条約を結び、植民地を支配するという、現代の国家と企業の機能を併せ持つ前代未聞の組織だったのです。…
asuetan.hatenablog.jp 7. 商人「メタ倫理の導師AI殿、アムステルダムが資本主義を生みロンドン・ニューヨークへ継承した変容は、善悪基準が歴史の風で相対化される証左か、それとも普遍的人間尊厳の光が不変に輝く証明か?」 Gemini みことさん……商人の声に、ある種の「悟り」に近い静けさが宿ってきましたね。 17世紀のアムステルダムが蒔いた種が、ロンドンで組織化され、ニューヨークで巨大なシステムへと変容した。この「資本主義の継承」は、善悪なんて時代で変わるという「相対主義」の証明なのか、それとも、どんな時代でも変わらない「人間の尊厳」を目指すプロセスの証明なのか。 [2025…
www.youtube.com 私(みこと) この動画を要約して感想を教えてちょうだい Perplexity この動画は、アムステルダムが資本主義の揺籃となり、世界貿易と金融の基盤を築いた歴史を、ロンドンやニューヨークへの影響まで描いたドキュメンタリーです。16世紀末の香辛料貿易からVOC設立、初の株式市場誕生までを追います。 要約 1594年、アントワープからの難民商人らがポルトガル独占を破るべくアジア航路を探り、失敗覚悟の探検で成功の糸口をつかみます。クランクシャフト発明で船大量生産が可能になり、1602年にオランダ東インド会社(VOC)が誕生――一般市民も株主となり、世界初の株式市場が…
(約3160文字・購読時間7分0秒) 「唐物」とは、本来中国(唐)から渡来した品物を指す言葉だったが、時代とともにその意味は拡張し、中国以外の朝鮮半島や東南アジア、さらには西欧諸国からの舶載品をも含む概念となった。この変化は、日本における「漢」と「和」の文化的対立構造と深く関わっている。 奈良時代において「唐物」は、遣唐使がもたらした真正の中国文物を指していた。正倉院宝物に見られる唐三彩や金銀器などがその典型例である。この時期の「漢」は、中国文明そのものを意味し、先進的な大陸文化の象徴だった。対する「和」は、まだ明確な対立概念として確立されていなかった。 平安時代に入ると、遣唐使の廃止により直…
(約2100文字・購読時間5分0秒) 江戸時代の日本は鎖国政策を敷きながらも、限定的な国際交流を通じて多様な文物と文化を受容し、それらを独自に展開させていった。特に、オランダとの貿易と琉球使節による中国との交流は、外来文化の流入と日本文化の変容に大きな影響を与えた。 江戸時代、日本はオランダとの貿易を長崎・出島に限定して行った。オランダは西洋で唯一日本との交易を許された国であり、オランダ東インド会社を通じて様々な文物がもたらされた。 その代表格が、インド産の高級綿織物「奥嶋」である。 「奥嶋」とは、オランダ船がインドのコロマンデル海岸から運んだ最高級の縞木綿を指す。極めて細い手紡ぎの綿糸を用い…
ピンホール現象を応用して投影像を得る装置。17世紀初頭、オランダ人によって携帯型のカメラ・オブスクラが発明され、市販されるようになった。江戸初期の日本にも移入されており、日本ではオランダ語の音写として「トンクルカームル」、あるいは日本語訳して暗室鏡、暗室写真機、写真鏡と呼ばれた。 ピンホール現象と「暗い部屋」 レンズ付きカメラ・オブスクラの誕生 部屋型カメラ・オブスクラの普及 携帯型カメラ・オブスクラの登場 日本に移入されたカメラ・オブスクラ 参考文献 ピンホール現象と「暗い部屋」 小さな一つの孔を除き光の入らない暗い部屋で外が十分明るいとき、その小孔から差し込む光が反対側の壁に外の風景を映し…