Gabriel Heinze
アルゼンチン代表歴のあるサッカー選手
フルネーム : Gabriel Iván Heinze (ガブリエル・イバン・エインセ)
生年月日 : 1978年4月19日
出身地 : Crespo, Entre Ríos (クレスポ、エントレ・リオス州)
身長・体重 : 178cm・74kg
ポジション : 左サイドバック、センターバック
1997〜98 : CAニュエルス・オールドボーイズ
1998〜01 : レアル・バジャドリーCF (スペイン)
2001〜04 : パリ・サンジェルマンFC (フランス)
2004〜07 : マンチェスター・ユナイテッドFC (イングランド)
2007〜09 : レアル・マドリーCF (スペイン)
2009〜11 : オリンピック・マルセイユ (フランス)
2011〜12 : ASローマ (イタリア)
2012〜 : CAニュエルス・オールドボーイズ
プレースタイルは身体能力が高くヘディングにも強い。また攻撃力もあるディフェンダー。
1992年、14歳のときにCAニュエルス・オールドボーイズの下部組織に入り、1997年にファーストチームデビュー。その活躍によりスペインのレアル・バジャドリーCFから声がかかり移籍するが、約1年半の間一度の試合出場もならないままスポルティングCP (ポルトガル) にレンタルで出される。1999年にレンタルから戻ると2000年からはレギュラーの座を獲得。2001年夏にはPSGへ移籍しセンターバックとして徐々に力を発揮し、マウリシオ・ポチェッティーノの代わりにディフェンスのリーダーを務めることもあった。
2004-05シーズン前にマンチェスター・ユナイテッドFCに誘われイングランドに渡る。2007年8月、リヴァプールFCへの移籍が秒読みとされていたが、所属クラブのマンチェスター・ユナイテッドFC側が拒否し、調停裁決の結果 「 国外 (イングランド以外) の移籍のみ可能 」 と判決され、2007年8月22日にスペインのレアル・マドリーCFに移籍することとなる。
しかし、2009年6月にレアル・マドリーCFの監督に就任したマヌエル・ペジェグリーニはエインセを戦力外としたため、2009年7月に新たな活躍に場を求めてフランスのオリンピック・マルセイユに移籍。2年後の2011年7月にはイタリアのASローマへ移籍。そして2012年8月にはCAニュエルス・オールドボーイズへ移籍した。
アルゼンチン代表としては2003年4月30日の親善試合リビア戦で初招集され初キャップ。その年の6月にはキリンカップで来日し日本代表と対戦した。2004年のコパ・アメリカ、アテネオリンピックでレギュラーに定着し、2006年と2010年FIFAワールドカップではセンターバックとしてプレーした。