アッバス・キアロスタミ監督の映画『桜桃の味』(1997年)を観た。 静かに丘を車で登る中年の男バディ。彼は誰かを探している。翌朝、自分に声をかけ、返事がなければ土をかけて埋めてくれる人を。つまりこれは、自死を望む男の話だ。だがこの映画は、決して「動機」を語らない。 「語らない」主人公 バディはなぜ死にたいのかを語らない。人生に絶望したのか、誰かを失ったのか、病気なのか。何も説明されない。 けれどこの“語らなさ”こそが、キアロスタミ作品の核心だ。彼は常に、観客に“意味の完成”を委ねる。語らず、押しつけず、静かに問いを置いていく。バディという男は、その問いそのもののようでもある。 映画を「埋める」…