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キューバ危機

(一般)
きゅーばきき

1962年10月
革命後のキューバに、ソ連が核ミサイルを配備し、その撤去を求めるアメリカと対立した事件。米ソ両超大国が直接対峙し、世界は核戦争勃発の可能性に恐怖した。冷戦の一つの頂点をなす事件。13日間の間、緊張状態が続いた。

概略

1959年のキューバ革命によってカストロ政権が成立すると、アメリカ(アイゼンハワー大統領)は当然にこれを敵視。経済封鎖を行うとともに様々な策謀を仕掛けた*1(ジョン・F・ケネディ)。
必然的にカストロはソ連に接近、ソヴィエト首相のフルシチョフはキューバに中距離核ミサイル(IRBM)の配備を計画する。配備が実現すれば、合衆国の主要部はその射程に収められることになる。
1962年10月、アメリカはU-2偵察機によってミサイル基地の撮影に成功する。核兵器の射程に合衆国が収められたことは明らかであり、当時のアメリカ大統領ケネディはソ連にミサイル基地の撤去を求め、さらにキューバ周辺海域の封鎖を宣言した。仮にこれにソ連が応じない場合、直接アメリカ軍をキューバへ侵攻するオプションも検討されていた。ソ連側の船舶は封鎖海域への侵入を避け、両国首脳部で懸命の交渉が行われた。
最終的に10月28日にフルシチョフは*2ミサイル基地の撤去に同意。直接衝突の危機は回避された。

*1:ピッグス湾事件

*2:キューバの不可侵の保証、トルコに配備されていたアメリカの核ミサイルの撤去などと引き替えに

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