ギリシア語

ギリシア語

(一般)
ぎりしあご

 インド・ヨーロッパ語族に属する言語。
 ラテン語と共に古典語として学ばれ、学術用語として使用されている。現在も学術用語を中心に古典ギリシア語起源の用語が多く使われている。
 ギリシア人が現在のギリシアに入ってきたときにもたらした言語で、インド・ヨーロッパ語族の「祖語」の母音の特徴をよく残しているが、子音の変化は激しい。また、地中海やエーゲ海沿岸の先住民の言語の影響も受けているとされるが、これらの先住民言語が現存しないため、詳細にはわからないことも多い。
 ギリシア語の古い文書は、ミュケーナイ(ミュケナイ、ミケーネ)文明の「線文字B」文書にさかのぼる。ミュケーナイ文明崩壊後には、フェニキア文字から発達したギリシア式アルファベットが成立し、ギリシア語は現在までこのギリシア文字のアルファベットで記されている。
 古い時代にホメロスの叙事詩『イリアス』、『オデュッセイア』が成立した後もギリシア語は発展・変化を続け、プラトンらが多くの著作を残した「古典古代」の最盛期にはすでにホメロスの詩は「日常的には使わない古いギリシア語が多い」と見なされていた。
 ギリシア語は、紀元前の段階で、アッティカ方言、イオニア方言、アルカディア方言、アイオリス方言(以上、「東ギリシア方言」に属する)やドーリス方言(「西ギリシア方言」)など多くの方言に分かれていた。プラトンやアリストテレスなど、アテーナイ(アテナイ、アテネ)の著作家たちが残した文献はアッティカ方言によって書かれている(ちなみにアテーナイと対抗したスパルタのことばはドーリス方言)。
 その後、アレクサンドロスのアジア征服などを経て、「共通ギリシア語」として「コイネー」が成立した。これは、アッティカ方言・イオニア方言をもとにして、これらの方言固有の言い回しなどを排除して形成されたものである。新約聖書はこのコイネーによって書かれている。なお、このキリスト教の広まりつつあった時代に、ギリシア語が持っていた「帯気音」が、ph→「ファ」行音、th→英語の「three」の「th」の音、kh→喉の奥で発音する「ハ」行音などに変化したとされる(新共同訳聖書で従来の「パリサイ派」を「ファリサイ派」と表記しているのはそのためだろう)。
 この時期のギリシア語は、地中海からアレクサンドロスの帝国の広がるアジアまでの広い範囲での共通言語であり、ギリシア文字も広い地域で使われた。イタリア半島でも南イタリアはギリシア語圏であった。ラテン語は、ローマの勢力拡大とともに、このギリシア語に対抗しつつ、「文明語」としての性格を形成していき、やがて西地中海から現在のルーマニアにいたる地域の共通語の地位をギリシア語から奪うことになった。しかし東地中海では依然としてギリシア語が使われていた。
 その後、ギリシア語はビザンティン(ビザンチン、ビザンツ)帝国の領域の共通語となり、文法などの簡略化や発音の変化が進んだ。ただし、ビザンティン帝国の支配領域は時代とともに狭まり、東地中海沿岸の多くの地域がアラビア語圏になったこともあって、この過程でギリシア語は「東地中海共通語」から「ギリシアの言語」へと変化した。15世紀にビザンティン帝国が滅亡し、ギリシアはトルコ系王朝、イスラーム(イスラム)国家のオスマン帝国の支配を受けた。この時期にトルコ語、アラビア語、ペルシア語などからの借用語がギリシア語にもたらされた。
 19世紀、ギリシアが独立すると、ギリシア語がその国語とされた。このとき、古典語の系譜を引くとされる文語・雅語の「カサレヴサ」と、民衆の言語の「デモティキ」があり、どちらを正式に国語とするかが問題となった。現在はデモティキが定着している。
 したがって、私たちが「古典ギリシア語」として接する言語はアッティカ方言かコイネー、現在、「現代ギリシア語」として接する言語はデモティキであることが多い。
 古典ギリシア語は、文明語としての権威があると同時に、語尾変化の場合分けが複雑だったり、変化形の頭に音が付け加わったり、母音が並ぶと音の変化を起こしたり、過去形(アオリスト)が不規則な単語があったりと、ともかく学ぶと複雑な言語である。そのため「私にはまったくわけがわからない」というときに "It's all Greek to me" (「それは私にとってはまったくギリシア語だ」)という表現を使うことがある。現代ギリシア語は、古典ギリシア語ほどの複雑さはないが、たとえばラテン語からイタリア語への変化ほど激しく変化しておらず、古典ギリシア語の特徴をいまもとどめている面が大きい。

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