講談社のオンライン誌「クーリエ・ジャポン」には、外国の記事がいろいろと翻訳・紹介されていて興味深いのですが、読んでいると、彼我の記者の視線のちがいを感じることがあります。おそらく記者の背後に広がる社会が日本とはちがうからでしょう。それは社会と国家は別ものとする意識と言えばよいのか、あるいは、上からの集団化(団結圧力)と下からの社会的連帯の度合いと言えばよいのか、要は個々の人を社会や世間がどう支えているかのちがいによる気がします。 個人的な印象なのであてにはなりませんが、いくつかの例外を除けば、外国の記者たちは、概して、為政者が社会的弱者を守らない行為や発言をすると、厳しく批判する記事を書きます…