Cristoph Willibald Gluck (1714〜1787) 。
ドイツの作曲家。最初はイタリアはミラノでサン・マルティーニに師事。当時、フランスをのぞく全ヨーロッパで支配的だったイタリア・オペラの様式を学ぶが、次第にアリアが特徴的なイタリア・オペラの様式に、音楽と演劇的要素のバランスが取れたフランス・オペラのスタイルを溶け込ませた、「改革オペラ」を、台本作家との綿密なコラボレーションによって生み出す。「フランス派」として、「グルック=ピッチンニ紛争」に参加もする。ドイツ人ながら「フランス派」として論争の矢面に立ったグルックだが、事情を説明すると彼はオーストリアのハプスブルク家に仕えており、皇帝一家の音楽教師をつとめていたのだった。神聖ローマ帝国の女帝・マリア・テレジアの末娘にして、フランス王妃、マリー・アントワネットも、彼の弟子であった。彼女のブルボン家お輿入れに付き従って、グルックもフランスはヴェルサイユに渡っていたのである。
こうして、グルックはオペラ創作に生涯情熱を燃やし、その作品数は43にも及ぶ。脚本と音楽のありかたを考察し、18 世紀のオペラ改革者と目され、彼のオペラは音楽史では重要な位置を占めている。代表作は「オルフェオとエウリディーチェ」、「オーリドのイフィジェニー」。