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コリン・マクレー
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コリン・マクレー
(スポーツ)
【こりんまくれー】
(Colin Mcrae)WRCの名ドライバー(ただし休業中)
1968年8月5日 - 2007年9月15日
スコットランド・ラナーク生まれ。
既婚、子ども2人
WRCドライバー。1995年のドライバーズチャンピオンであり、長年にわたってトップドライバーとしてWRCに君臨している。
2004年は日産からダカールラリーに参戦した。
Colin McRae Rally
シリーズの監修もつとめている。
ちなみに弟の
アリスター・マクレー
もラリードライバー。
若い頃、勝つか、クラッシュでリタイアするかという出入りの激しい戦いをしていた。そのため、「
マックラッシュ
」とか「
コロリン・マクレー
」とか「
転がりマクレー
」とかいった本人にとっては余り嬉しくない別名を頂戴することになる。
しかし、年とともに安定した走りをみせ、この名も消えようとした頃のフォードワークス時代、またマシンを壊しだす。その度にマシンを蹴飛ばすので、「
蹴りン・マクレー
」とも呼ばれだす。
また、長年ペアを組んでいたコ・ドライバー、ニッキー・グリストとの確執も表面化。2002年シーズン途中でペア解散し、かつてスバルでレガシィを走らせていた頃のコ・ドライバー、デレック・リンガーと組むが、結局リンガーの言うことに全く耳を貸さないマクレーと、もはやロートルのリンガーのコンビは当然機能せず、2003年未勝利に終わる。これが、WRCのシート争いでは致命的となり、2004シーズンはシートを失う。
最近は戦場をダカール・ラリーやル・マン24時間、X Gamesに移していた。
2007年9月15日、自宅のある英北部スコットランドのラナーク近くで自身の所有するヘリコプターを操縦中、雑木林に墜落し、5歳の息子を含む搭乗者4人全員と共に死亡が確認された。39歳だった。
経歴
1986年 タルボット・サンビームでラリーを始める
1987年 スウェディッシュラリーで世界ラリー選手権(WRC)デビュー 36位− ヴォクソール NOVA
1988年 プジョーのジュニアチームに参加
1989年 ニュージーランド大会 5位 − フォード・シエラ
1990年 RACラリー 6位 − フォード
1991年 スバルの
プロドライブ
・チームに参加 英国ラリー選手権 チャンピオン
1992年 WRCイベントに5回出場。
スウェーデン大会で2位
WRC(ドライバー)で8位
英国ラリー 6回全て優勝 − スバル
1993年 WRCイベントに8回出場。ニュージーランド大会で優勝 − スバル
WRC(ドライバー)で8位
1994年 ニュージーランド大会、RACラリーで優勝 − スバル
WRC(ドライバー)で4位
1995年 WRC全プログラムに参加 ニュージーランド大会、RACラリーで優勝 − スバル
1996年 アクロポリス大会、サンレモ大会、カタルニア大会で優勝 − スバル
WRC(ドライバー)で2位
1997年 WRCラリーで5回優勝。 − スバル
WRC(ドライバー)で2位
1998年 WRCラリーで3回優勝。 − スバル
WRC(ドライバー)で3位
1999年 フォードに移籍。ケニア大会、ポルトガル大会で優勝。
WRC(ドライバー)で6位
2000年 スペイン大会、ギリシャ大会で優勝。− フォード
WRC(ドライバー)で4位
2001年 アルゼンチン大会、キプロス大会、ギリシャ大会で優勝 − フォード
WRC(ドライバー)で2位
2002年 ギリシャ大会、ケニア大会で優勝 − フォード
WRC(ドライバー)で4位
2003年 WRC(ドライバー)で7位 − シトロエン
2004年 ダカールラリーにニッサンより出場。しかし、リタイア。
2007年 ヘリコプターを操縦中に墜落、死亡。享年39歳。
* リスト::カーレーサー
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