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コートジボワール

(地理)
こーとじぼわーる

[仏] République de Côte d'Ivoire
コートジボワール共和国は、アフリカのギニア湾沿いに位置する国家。
面積は322,436km²、人口は2060万人*1
国名は「象牙海岸」を意味し、かつてここから大量の象牙が輸出されたことに由来する。
首都は Yamoussoukro (ヤムスクロ)。国内最大の都市 Abidjan (アビジャン) は1983年まで首都だったが、現在でも国の中心都市である。
1893年よりフランス植民地、フランス領西アフリカとなる。
1958年12月4日にフランス共同体自治国となり、1960年8月7日に正式独立。
政体は共和制をとっており、国家元首は、アラサン・ウワタラ大統領。

内政略史

1993年12月のウフェ・ボワニ大統領逝去後、クーデター等内政の混乱が始まった。
2000年10月、バグボ候補が選挙により大統領に就任し、国民議会及び地方議会選挙が実施された。
2001年10月には「国民和解フォーラム」が開催され和平が訪れるかに見えたものの、2002年9月に政府軍と反政府勢力との対立が発生、反政府勢力が同国の北部・西部を支配下に置き、事実上国を二分する状態となった。
2003年1月和平合意(マルクシ合意)が成立、3月には国民和解政府が樹立されたが、2004年11月の政府軍による反政府軍への攻撃を契機に情勢は緊迫。
2005年、再度和平合意(プレトリア合意)が成立、大統領選挙は最大2006年10月まで延期された。12月にはバニー新首相が就任し新内閣が成立、和平合意履行に向けた努力が行われたものの危機脱却には至らず、予定されていた2006年10月末までの大統領選挙は実施されず、移行期間を更に1年延長(2007年10月末まで)した。
2007年3月、紛争当事者であるバグボ大統領と反政府勢力ソロ「新勢力」事務局長との間で和平プロセスを進めるための合意(ワガドゥグ合意)が成立、同月ソロ事務局長が首相に就任し、4月、新内閣が成立した。これにより国を二分する状況は解消されたものの和平及び選挙プロセスは進展せず、大統領選挙は延期を重ねていた。
2010年10月、10年ぶりとなる大統領選挙を実施。第2回投票の結果、国際社会が一致してウワタラを支持したにも関わらず、バグボ前大統領が権力の移譲を拒否。約5カ月に亘る混乱を経た4月、共和国軍がバグボを拘束。
2011年5月、ウワタラ大統領は改めて宣誓式と大統領就任式を実施。
2011年12月、国民議会選挙が与野党の参加を得て平和裡に実施。
2012年3月、新内閣成立。
2012年11月、ダンカン内閣成立。

経済

基幹産業は農業で、農業に従事する人口は全体の約80%を占め、GDPの約30%、輸出の大部分を占める。
かつて主要産品であるココア、コーヒー等の一次産品の国際価格の低迷、膨大な対外債務により、経済的危機に陥り、1987年5月にはパリ・クラブ、ロンドン・クラブに対して債務支払い停止を宣言。
1989年9月よりIMF・世界銀行の下で構造調整計画を開始した。1999年初めには経済改善策が不十分としてIMFによる融資が停止された他、EUの援助約180億CFAフランに対する汚職が暴かれEUの援助が停止されたものの、国内情勢の安定化に伴い2002年2月に再開。
2002年9月に発生した反政府派による武装蜂起により国が2分され、その後の和平プロセスの停滞の中で経済活動は大きな制約を受けた。
ワガドゥグ合意成立を受け、2007年からIMF・世銀の融資が再開し、2009年3月には拡大重債務貧困国(HIPCs)イニシアティブの決定時点に到達した。
パリ・クラブによる対外債務のリスケジュール・繰延も開始している。
1993年より産油が開始し、近年、石油・石油製品輸出額は、コーヒー、ココアの輸出額と並び、主要貿易品目となっている。

*1:2012年,UNFPA

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